|
講話・講演集
|
||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||
|
1 貝島百合野山荘の保存と活用の方向性 平成30年6月24日の総会講演にて
西日本新聞社 前筑豊総局長 西村隆幸氏 講演骨子 (1)保存と活用の費用をどうするか ・建物維持費・山荘運営費・人件費等をどう調達するかと言う視点が大切である。伊藤伝右衛門邸はこの視点がなかった。 ・伊藤伝右衛門邸は、事前の資金収入面の対策はなかったが、白蓬キャラクターと強力なリーダーシップを持った小野山氏と他4人が知事へ応援を頼みに行って、残ることになった。 ・「百合野山荘で稼ぐ会」等を作って資金を稼ぐ方法を考える。ともに、その会員を、時々食事等のスペシャルな招待ができるようにすることも大切。 ・市は、社会保障の拡大状況にあるので、今から、稼ぐことを考えてないと、出費多端財政上で困る状態が来る。→大名小学校の跡地利用の見学を進める。 2 来場者確保 (1)ストーリー性がいる。 ・文化財だから見に来るのではない。来場者と太助さんの何かをつなげることが大切。 (2)近代化遺産の中心は、筑豊である。他との連携も大切。 ・貝島山荘だけでなく、他との交流・他と一緒になって石炭遺産を育てようと言う考えが大切。直方石炭資料館・伊藤邸・田川とつなげることが大切。 ・百合野山荘の保存だけでなく、地域を元気にすることを考えることが大切。 ※例えば、平成筑豊鉄道では、鉄道事態にトイレがない。駅にもトイレがない。 沿線のトイレも今一つ整美されていない。連携を感じない ・その意味で、直方。田川等沿線まで会員を拡大し、広く会員を作る事も大切 ・直方に、上野英信の文庫もある。田川には、記憶遺産もある。 ・遠賀川流域と言う視点を忘れることなく、他の文化遺産との関連で、筑豊を語り、炭田を語ることも必要である。 3 専門家の支援と文化の視点 (1)専門家の支援(話は、途中から古代史に入っていった。) ・宗像が西谷先生(九大) ・飯塚の立岩遺跡発掘の前漢時代の鏡等については、高島先生等のように、 ・百合野山荘を活かすには、専門家の支援を求め、意見を聞きいて運動の輪を広げることも考えられる。 (2)文化の視点 ・文化には垣根がない。なんでここに百合野山荘があるのか。 石炭の前には、長崎街道でつながっている。シュガーロードもその例 ・剣岳の例:切り出した木を剣岳のふもとに集めて、川・海で木を運んだ。 額田の大王の歌にそのことが詠まれている。 ・魂志倭人伝。新羅 4 なんといっても広報 (1)マスコミを入れて、広く広報を行うこと。 小野山さんは、マスコミをうならせることが上手だった。私も着任早々挨拶に行ったくらいだ。とにかく、マスコミと顔を合わせる回数を増やすこと。 新聞記者が貝島百合野山荘を連載するように総局長を味方に付ける。 5 結び ・夢を大きく持って進めていくと大きく広がる。 聴衆よりの質問・意見 ・クラウドファウンド・・何時迄にどれくらい稼ぐと言う練り込んだ計画を作る事。 ・ストーリー性・・貝島だけでなく、麻生・安川などと。つなげてピックアップすればスターリーはできる。 意見 ・犬鳴御別館との連携も考えてぐださい。 6月30日より九州歴史資料館で絵地図の発表がある。 ・ 炭層を見せること。高宮邸も参考に ・司書御別館の戸板が喜楽荘にある。 ・バルチック艦隊の撃破の理由もある ・岡崎に住んでいるが、岡崎では貝島炭磯を知らない |
||||||||||||||||||
| 2 「直方石炭記念館」について 直方石炭記念館 館長 八尋 孝司氏 ⑴ 直方石炭記念館 s①石炭記念館を中心に石炭の果たした役割を知らせる
②直方市は、貝島との関係は深い ![]() ③当石炭記念館の存在を知らない人が多い 直方市政だよりに当石炭記念館のみ載せない現実があった→今は取り上げている ④明治43年作成の救護隊の訓練鉱が108年立っても、未だに利用できる。 ⑤教育委員会の取り組み ・石炭が燃える石であることを知らない先生もいる 小学3年生になると、年一回石記念館を訪問することになっている。 黒ダイヤ(今の子どもたちは、パワーストーンと言う)について、教えるようになった。 ⑥訪問者 ・県外の人が多い ・その理由は 田川の山本作兵衛 朝ドラの伊藤はなこや「朝が来た」の影響が大 ・ルートは、大阪南港→フェリー→直方憩いのい村に宿泊 ・大学生‥。近代史の勉強に石炭の勉強は必須であるので調査に来る ・以前は、年間5000~6000人の訪問者であったが、今は10000人以上 ・取り組みを続けていれば人に知られるようになる。 ⑦石炭産業の原点ともいえる 筑豊石炭鉱業組合直方会議所本館がある ・石炭がなかったら日本の近代化はなかった ・八幡製鉄者が出来たのは、筑豊の石炭があったればこそ ・明治から150年、日本の近代化をけん引してきたのは筑豊であった。 ⑧イベント ・直方に残る貝島太助翁の足跡をたどる。20人が参加 多賀神社→雲心寺→円徳寺(貝島太助の生家)→多賀町公園(銅像) →殿町(貝島本社)→市役所より貝島の遺跡等を見下ろす ・写真展:国鉄時代の直方駅の写真展、八幡製鉄所の写真 ・実習:石炭を実際に燃やす火力発電所の実験 ⑨筑豊の石炭の歴史 ・遠賀川 ・犬鳴川 天照宮の鳥居に犬鳴川を利用した人々が記してある。 原田神社にも書いてある ・田川は3つを一つにした取り組みをしている? ⑵ 貝島百合野山荘について ・応援しますので一緒にやっていきましょう。 ・保存のヒントは、地域住民が郷土の歴史を知り、郷土愛を持つことが肝心 ・立派なものがあっても、皆さんに伝えないと意味がない。 ・今まで大事に守られてきたことを土台にして、これから何を作っていくかが課題である。 ・筑豊全体で考えることも必要。 写真:直方石炭記念館 (当館WEBページから) 3 貝島百合野山荘の保存と活用の方向 北九州市立大学地域戦略研究所副所長 内田 晃氏(博士) ①筑豊全体で取り組むことが必要 ・今の子どもたちは、石炭と結び付かない時代に育っている。 郷土の歴史と誇りそして近代化に果たしてきた役割を後世につなぐことは大切である。 ②放っておくと住宅団地になる恐れ ・麻生邸の別邸も住宅団地になってしまった。 ・伊藤伝右衛門邸の別邸も住宅団地になってしまっていて、今悔やまれている。 ③筑豊の装飾古墳のイベントの方法・取り入れも参照 |
||||||||||||||||||
| |
||||||||||||||||||
左が伊藤博文候、右が井上馨候のご来臨記念碑 |