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「貝島百合野山荘市民の会」設立趣旨
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左図の▶をクリック・タップすると、
「設立趣旨」を音声で聴けます。 近時、明治日本の産業遺産が世界遺産に登録されたのを機に、炭鉱設備等を含めた明治日本の産業遺産群が更に脚光を浴びています。 そのような中、地元で栄えた貝島炭礦*1は、明治18年、貝島太助翁を中心にした兄弟たちの英知と艱難辛苦の努力によって*2、旧宮田町から創業発展し、筑豊・佐賀等に貝島財閥と目されつつ世に大きく貢献した過去の大切な歴史があります。例えば、宮若市や直方市が現在の自治体としての基盤を形成し、北九州が一大工業地帯として発展し、現在の自動車産業の隆盛を見た基礎の一端は、貝島炭礦が担った結果であるともいえます。(*2「偉盲貝島嘉蔵翁」(吉村誠著)にその段の記載があります) しかし、その巨大な足跡は、殆ど宮若市、また、市外にも見ることができません。特にこの宮若市には、貝島百合野山荘(この頁では、以下「山荘」とします)以外は形を留めていないようです。 ここで、取り敢えず山荘の存在価値を大きく3点紹介します。
したがいまして、貝島百合野山荘は、90年有余の歴史を残した貝島炭礦の象徴・シンボルとして位置づけたい考えました。 そこで、当山荘の保存と活用を求めて活動するがために、平成28年に、ときの有志によって当会を設立し、今では千数百名の会員が集う会に至っています。 現在、国の重要文化財指定受けるために鋭意努力しているところです。 以上、皆様のご理解とご支援を賜りたく、設立の趣旨とします。 令和6年8月吉日 貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会 (貝島百合野山荘市民の会) *1 貝島炭礦の場合の「こう」の漢字は、会社名が貝島炭礦でしたので「礦」を使い、一般的な「たんこう」の場合は、鉱を用いています。 狭い意味の「たんこう」の場合は、炭坑、坑夫、坑口のように「坑」を使っています。(本HP担当) |
貝島百合野山荘とは
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「貝島百合野山荘とは」を音声で聴けます。 炭鉱経営で筑豊御三家の一つとされた貝島炭鉱創業者(貝島太助)一族の貝島六太郎(貝島太助の次弟)旧邸「貝島百合野山荘」は、完成から100年余の時を経て地元に残る貴重な炭鉱遺産といわれています。 貝島六太郎は、男の子が生まれなかったので、明治37年、早々と養嗣子(ようしし、民法旧規定のもとで家督相続人となる養子のこと。)の栄四郎氏(太助の次男)に家督を譲り、百合野(現山荘の敷地)に隠居しました。 その後、貝島百合野山荘は、貝島家家憲制定後、その家憲に基づいた「邸宅建築規定」によって、貝島栄四郎氏の本宅として明治末に設計建築がはじまり、完成は大正4年でした。 当初の所有者は、貝島栄四郎氏でしたが、現在は、その子孫である貝島化学工業社長 貝島義朗氏(参照:本ページの貝島家系統図)です。 建物は、木造一部2階建てで東西に長く広がります。同社の「貝島百合野山荘調査・分析スタッフの会」(岩田憲明代表)によりますと、1915年(大正4年)に完成し、住宅として使われた建物、それに茶室や茶庭を備え、地域や一族のための応接機能を持った建物とが共存します。宅地は約1万7700平方メートルで、約9万平方メートルの敷地を持ちます。 通用門の「毛利門」(下写真:家憲制定前に、井上馨侯爵の計らいによって、旧主家の邸第にあった門をもらい受けて移築)から入った玄関前や回遊式庭園の主庭などでは紅葉が楽しめ、散策路ともなる梅園や竹林のほか、鳥居と一対のこま犬を備えた社跡や仏碑、貝島炭鉱の主力だった大之浦炭鉱(宮若市)などを望んだ展望所跡があります。 当スタッフの会は「自然の地形をそのまま利用し、建物の建築から造園まで多くの匠(たくみ)の技を統合し、和風の技法に西洋技術を取り入れた山荘であります。貝島家の多機能住宅施設として歴史的価値は高い」とみています。県も近代和風建築の総合調査の一環で基礎調査を終えています。 貝島製作所元代表取締役で「貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会」(貝島百合野山荘市民の会)の筌場弘則さんは「石炭産業の隆々とした時代がしのばれる。ぜひ保存し、炭鉱の歴史とともに残してほしい」と訴えています。同会会長の原田正彦さんは「貝島家の建物で地元に現存するのは百合野山荘だけ。建物も庭も壮大で、感動した。保存に向け、さらに市や市民にアピールしていきたい」と話しています。 そこで、数年前から立ち上げた「貝島百合野山荘市民の会」は、現在1,300名を超える会員とともに、鋭意、当山荘の保存と活用を求めて活動を行っています。 詳しくは、本HPをご参照ください。 (以上 2018/11/29付 西日本新聞朝刊を参考に編集)
<貝島炭礦主な沿革>
不確定部分多し。現在追究中
参考資料:宮若石炭記念館 貝島炭礦略年誌(稿本)より筌場弘則氏抜粋提供 =========================== 百合野山荘の価値判断資料について、 主な3つの視点(規模・庭園・建造物)を 以下に示しましょう。 終わりに「まとめ」「保存と活用」のあり方をまとめています。 参考資料:第7回総会講演(辻 浩史氏)から編集
背景画像:貝島百合野山荘敷地全景(田上稔氏提供) |
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