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  •  3/22 広報部会 14:00 中公 

貝島百合野山荘の国指定を目指している市民の会は、当指定を公約に掲げる宮若市長候補「しおかわ秀敏」氏を応援しています。


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「貝島百合野山荘市民の会」設立趣旨
 左図の▶をクリック・タップすると、
                   「設立趣旨」を音声で聴けます。

 
 近時、明治日本の産業遺産が世界遺産に登録されたのを機に、炭鉱設備等を含めた明治日本の産業遺産群が更に脚光を浴びています。

 そのような中、地元で栄えた貝島炭礦
*1は、明治18年、貝島太助翁を中心にした兄弟たちの英知と艱難辛苦の努力によって*2、旧宮田町から創業発展し、筑豊・佐賀等に貝島財閥と目されつつ世に大きく貢献した過去の大切な歴史があります。例えば、宮若市や直方市が現在の自治体としての基盤を形成し、北九州が一大工業地帯として発展し、現在の自動車産業の隆盛を見た基礎の一端は、貝島炭礦が担った結果であるともいえます。(*2「偉盲貝島嘉蔵翁」(吉村誠著)にその段の記載があります)

 しかし、その巨大な足跡は、殆ど宮若市、また、市外にも見ることができません。特にこの宮若市には、貝島百合野山荘(この頁では、以下「山荘」とします)以外は形を留めていないようです。
 
 ここで、取り敢えず山荘の存在位置を大きく3点紹介します。

 ①    貝島炭礦は、日本の産業・工業を支えた。その跡を留めるのがこの山荘であるということ。 
     
 ②   山荘の屋敷は、書院造り等を取り入れ、そして当時隆盛を誇った炭礦主の典型的な佇まい、更に庭園、遊歩道や慰霊塔を供え、外来者や炭礦の坑夫への温かい思いやりの姿を有しているということ。
     
 ③   ときの日本発展の元杖となった大政治家の井上馨*3と深い繋がり・ロマンがあったこと。 
     
                *3  貝島太助との詳しい繋がりは
             ◆HP「貝島太助物語」の第五章一と二(福田康生著)を是非ご参照ください。

 したがいまして、貝島百合野山荘は、90年有余の歴史を残した貝島炭礦の象徴・シンボルとして位置づけたい考えました。

 そこで、当山荘の保存と活用を求めて活動するがために、平成28年に、ときの有志によって当会を設立し、今では千数百名の会員が集う会に至っています。
 
 現在、今年度末には、国へ重要文化財指定申請すべく鋭意準備しているところです。

 以上、皆様のご理解とご支援を賜りたく、設立の趣旨とします。

                          令和5年1月1日

            貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会
                       (貝島百合野山荘市民の会)

*1 貝島炭礦の場合の「こう」の漢字は、会社名が貝島炭礦でしたので「礦」を使い、一般的な「たんこう」の場合は、鉱を用いています。
 狭い意味の「たんこう」の場合は、炭坑、坑夫、坑口のように「坑」を使っています。(本HP担当)

 




貝島百合野山荘とは
 左図の▶をクリック・タップすると、
                   「貝島百合野山荘とは」を音声で聴けます。

炭鉱経営で筑豊御三家の一つとされた貝島炭鉱創業者(貝島太助)一族の貝島六太郎(貝島太助の次弟)旧邸「貝島百合野山荘」は、完成から100年余の時を経て地元に残る貴重な炭鉱遺産といわれています。

 貝島六太郎は、男の子が生まれなかったので、明治37年、早々と養嗣子(ようしし、
民法旧規定のもとで家督相続人となる養子のこと。)の栄四郎に家督を譲り、百合野(現山荘の敷地)に隠居しました。
 その後、貝島百合野山荘は、貝島家家憲制定後、その家憲に基づいた「邸宅建築規定」によって、設計建築がはじまり、完成は大正4年でした。

 所有者は、貝島六太郎のあと、太助の次男「貝島栄四郎」が引き継ぎましたが、現在は、その子孫である貝島化学工業社長 貝島義朗氏(
参照:本ページの貝島家系統図)です。

 建物は、木造一部2階建てで東西に長く広がります。同社の「貝島百合野山荘調査・分析スタッフの会」(岩田憲明代表)によりますと、1915年(大正4年)に完成し、住宅として使われた建物、それに茶室や茶庭を備え、地域や一族のための応接機能を持った建物とが共存します。宅地は約1万7700平方メートルで、約9万平方メートルの敷地を持ちます。

 通用門の「毛利門」(
右写真:家憲制定前に、井上馨侯爵の計らいによって、旧主家の邸第にあった門をもらい受けて移築)から入った玄関前や回遊式庭園の主庭などでは紅葉が楽しめ、散策路ともなる梅園や竹林のほか、鳥居と一対のこま犬を備えた社跡や仏碑、貝島炭鉱の主力だった大之浦炭鉱(宮若市)などを望んだ展望所跡があります。

 当スタッフの会は「自然の地形をそのまま利用し、建物の建築から造園まで多くの匠(たくみ)の技を統合し、和風の技法に西洋技術を取り入れた山荘であります。貝島家の多機能住宅施設として歴史的価値は高い」とみています。県も近代和風建築の総合調査の一環で基礎調査を終えています。
 
 貝島製作所元代表取締役で「貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会」(貝島百合野山荘市民の会)の筌場弘則さんは「石炭産業の隆々とした時代がしのばれる。ぜひ保存し、炭鉱の歴史とともに残してほしい」と訴えています。同会会長の原田正彦さんは「貝島家の建物で地元に現存するのは百合野山荘だけ。建物も庭も壮大で、感動した。保存に向け、さらに市や市民にアピールしていきたい」と話しています。  
                           
 そこで、数年前から立ち上げた「貝島百合野山荘市民の会」は、現在一千名を超える会員とともに、鋭意、当山荘の保存と活用を求めて活動を行っています。

 詳しくは、本HPをご参照ください。
      
           (以上 2018/11/29付 西日本新聞朝刊を参考に編集)

〈参考〉 貝島炭礦歴代社長名
 代 社長名 期間      備考 
明治17年(1885年)4月 貝島六太郎名義により「大之浦炭坑の土地取得
    1885年11月3日~  M18    大之浦開坑
  (代表者)貝島太助  1889年3月1日~  M21   榮鑛社設立
   〃? 1892年8月20日~  M24   榮鑛社解散 3/3 井上馨来邸
    (毛利三井援助する)
貝島 太助 1898年5月15日~  M31   貝島鉱業合名会社
一代目 貝島 太助 1909年12月1日~1916年11月   M42   貝島鉱業株式会社設立 資本金250万円
   貝島太助逝去(1916/11/1 72歳)
二代目  貝島栄四朗 1916年11月29日~1931年8月   T5   太助(長男)の次弟(三男) 貝島炭礦(1931) 
常務 貝島健次、貝島太市
三代目   貝島 健次 1919年10月18日~  T8    
四代目  貝島栄四朗 1921年2月1日~  T10    
五代目  貝島 太市 1931年8月3日~1943年6月   S6   太助の四男 貝島炭礦㈱
六代目   貝島 義之 1943年6月18日~1945年10月   S18   太助の次男(栄四郎)の息子 会長:太市 
七代目   貝島 太市 1945年10月1日~1963年5月(8月逝去)  S20   再任 
八代目  貝島 弘人 1963年5月28日~1976年5月(昭和51年)  S38   昭和51年8月閉山 
 弘人:太市の娘婿(養子)
       参考資料:宮若石炭記念館 貝島炭礦略年誌(稿本)より筌場弘則氏抜粋提供・編集
                                   


                   貝島家家系図から藤渕明宏作成


    <貝島炭礦主な沿革>
 年  月 西暦 沿            革     
 明治17年4月  1884  福岡県宮田村上大隈で炭坑の坑区購入    
 明治18年4月  1885  大之浦炭坑と称する採掘許可を得る    
 明治18年11月3日  1885  大之浦竪坑開掘着手    
 明治21年3月1日 1889  榮鑛社設立    
 明治24年8月20日 1892  榮鑛社解散    
 明治31年5月  1898  貝島鉱業合名会社を設立    
 明治42年12月  1909  貝島鉱業株式会社設立。資本金250万円
 大正8年11月  1919  貝島商業株式会社設立。資本金1000万円
 大正10年2月  1921  大辻岩屋炭礦株式会社設立。資本金1000万円
 昭和6年8月  1931  貝島商業株式会社、大辻岩屋炭礦株式会社を吸収
 合併。資本金3000万円
 昭和6年8月  1931  貝島炭礦株式会社に商号変更
 昭和23年8月  1948  大辻炭礦と岩屋炭礦を高倉鉱業株式会社に譲渡
 昭和38年4月  1963  満之浦炭礦株式会社を設立
 昭和38年10月  1963  第二大之浦炭礦株式会社、菅牟田炭礦株式会社を
 設立
 昭和41年11月  1966  大之浦炭礦株式会社を設立
 昭和51年8月  1976  閉山
     参考資料:「企業情報@Wiki」 「貝島会社歴史年表」(福田康生著)など
                   不確定部分多し。現在追究中

         
貝島会社本社所在地推移 
 年 所在地等 
創立時  直方
1920年  長府(空襲にて消失、社長宅へ) 
1945年  旧宮田町 大之浦本社 福岡市平尾に事務所 
1946年  福岡市荒戸128 
 ?  福岡市天神協和ビル 
 
上大隈にあった本社(上方の長屋根の建物)
 
長府本社(宮若石炭記念館より

参考資料:宮若石炭記念館 貝島炭礦略年誌(稿本)より筌場弘則氏抜粋提供



本HP制作:貝島百合野山荘市民の会「情報発信・広報部会」
部員:藤渕 田中 真角 小方 山本 浅井 

TEL:0949-36-3224
FAX:0949-36-3224
Email:minghongt47@gmail.com

   

                 背景画像:貝島百合野山荘敷地全景(田上稔氏提供)